1/21 主日礼拝「教会が存在するわけ」

聖書箇所 使徒 2:41,42

そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

 

 教会は、なぜ社会に存在しているのでしょうか。それは、魂の救いの場所として存在しているのです。教会は神様の愛と救いを伝えます。現代人は、様々な問題やストレスを抱えて疲れ、悩んでいます。主イエス様は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)と言われました。主イエス様は、私の重荷を担って下さるお方ですから、教会に来て主イエス様を知って、重荷を担って頂くのです。また神の家族として存在しているのです。教会は様々な人が集まった所です。皆が主イエス様を信じて救われた者たちです。ですから神の家族の一員として、天国に行く時まで共に信仰に励むのです。