9/16 主日礼拝「義の奴隷とされた」

聖書箇所 ローマ 6:15~23

しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。(6:22)

 

15節でローマにある教会のクリスチャンから疑問が起こっていました。それは、神様の救いが、恵みと信仰によるのだから「罪の中にとどまってもよい」という誤った考えがありました。そこでパウロは彼らの誤りを正したのです。パウロは「罪の奴隷」と「義の奴隷」という対比を持って正したのです。奴隷は、主人の焼き印を押された時から、もう自由はなく主人の言いなりになったのです。ですから「罪の奴隷」であると言うことは、主人である悪魔のいいなりになり、罪に縛られて全く自由がなく、その報いは死であること一方「義の奴隷」は、神を主人として義の教えに従って生き、永遠のいのちを受けるものです。パウロは、「自分のしていることが分かりません、私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」(7:15)と心の真実の姿を告白したのです。

そのような者が、主イエス様の十字架の贖いによって救われたことにより「義の奴隷」とされたのです。今まで汚れと不法に縛られていた者が、今度は主イエスが願い望まれる生き方へと歩む者とされたのです。