'21/1/23 主日礼拝「人格を持たれるお方」

詩篇 94:9,10

耳を植えつけた方が、聞かないだろうか、目を造った方が、見えないだろうか。国々を戒める方が、責めないだろうか。人に知識を教えるその方が。

 

 詩篇の作者は、「神様は、聴くことが出来、見ることが出来、戒めることが出来るお方である」と歌いました。み言葉は、神様が、人格を持たれるお方であると語っています。神様が人格を持たれるとは、自分の考えを持ち、相手に対して考えて行動し、人格的交わりを持たれることです。また人格を持たれる神様は、私たち人間を人格を持つ者として創造されました。神様は、人格を通して、私たちと深く交わってくださいます。しかしアダムとエバが、罪を犯した時から神様との人格的な素晴らしい交わりが破壊されました。それでも神様の十字架の贖いによって私たちは、人格を持たれる神様と交わることが出来るのです。人格を通して更に深く神様と交わる者でありましょう。